粽(ちまき)の起源

米ちまき(4月中旬~5月)

新笹に香りが出始める端午の節句を迎えるころ、このお店はいぐさで結んだ三角粽を
作ります。
きな粉で食すおいしさは、心のやすらぎと、ぬくもりが伝わる貴重なお味です。

(東京新聞出版局 刊の東京の老舗(下)に記載)

材料は、もち米100%です。

―粽の起源―

大古、中国の武人でもあり、文学者でもあった賢人「屈原」は、紀元前三百年のころ、中国の戦国時代の王族で、支配階級の一人でありました。剛直な性質の屈原は、斉と親しんで秦に対抗しようと考えをもっていたため、親秦派が強くなると、うとんぜられました。
はじめは、漢水の北方に流され、一時復職しましたが、さらに追放され、そして、楚の国が秦に侵略され衰えゆくのを悲しんで、「離騒」の詩を遺して、長沙の北方の泊羅(べきら)という湖に投身しましたが、とうとうその遺体は見つかりませんでした。

彼を惜しんだ人民たちは、死体に魚がついて食べないようにと、まわりに米をまきました。

しかし、魚が米を食うので、竹筒に米を入れて、毎年、五月五日に湖水にこれを投げ入れて祭りました。

これが、粽の起りという伝説であります。

それから後、漢の武帝の時、長沙の人〝欧回”という人が、ある日泊羅のほとりを通ると、三閣太夫と名のる人が現われ(屈原の霊)、欧回に、土地の人々が毎年我を祀ってくれて嬉しいが、贈られる米は、みな蛟竜<こうりゅう>(まだ竜とならず、水中にひそむミズチ)に盗まれるので、今後は棟樹(センダン)の葉で筒口をふさぎ五色の糸でしばってもらいたいと話しました。

粽を作って五色の糸で結ぶのは、これが起源であると言い伝えられています。

現在、五色の糸で結ぶ〝錦粽”がそれです。

日本の端午の節句に粽を供えるのは、屈原の霊を祀る行事より取り入れたもので、邪気を払うために供えられたといわれます。

夏祭りとして有名な京都の祇園祭に、鉾(ほこ)の上より投げる粽は、屈原の故事を取材した供養のためのもので、その粽をうけて門戸につるしておくと、流行病除けや、災難除けになるといわれております。
中国から伝来した年月は定かではありませんが、一説には神功皇后が三韓征伐のときに持ち帰られたといわれます。
古い文献によりますと、日本で粽が食されたのは十七世紀頃といわれます。

古式の作り方は、糯米を笹の葉で包んで、釜で茹でたといわれますが、これは、秋田、山形、新潟などに現存している粽です。『当店の〝こめ粽”は、この粽です』

粽の種類には、御所粽、道喜粽、錦粽、五色粽、色粽、羊羹粽、砂糖粽、飯粽、乙女粽、飴粽、葛粽、朝比奈粽、内裏粽、ワラビ粽、渦粽、藺粽(いちまき)、篠粽、水仙粽、ウイロウ粽などがあります。

昔は、茅萱(ちがや)の葉で巻いていたといわれますが、初代道喜が笹に代えたと伝えられています。

1981年10月 「製菓製パン」誌より

 

 

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